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奇跡の出産エピソード💎

仰天ニュースに出れそうな出産秘話💎

 

このページでは、湊ちゃんを出産した時のエピソードを詳しく紹介したいと思います。

どのような出産だったのか、何が奇跡なのか書いてみました。

 

 

出産当日のエピソード💎

 

 

出産前の予定スケジュール

湊ちゃんが産まれた日は、2027年5月22日予定日は、2027年7月8日

長女が当時2歳だったため、里帰り出産を希望していて地元の長女を出産した産院に事前に分娩予約

5月24日に里帰りの初めての診察を予約していて、母の休みに合わせて5月22日

2時間弱の道のりを自分で運転をして帰省しようと考えていた。(出産後に検診だったりで車が必要だと思い、自分で帰ることを決断)

 

 

里帰りする予定の日に思いがけない出産…💎

 

その日は、里帰りで実家に帰省する予定でした。

夜中からお腹の張りを頻繁に感じて少し不安な気持ちになり、朝には、痛みのある張りに嫌な予感…。

長女の妊娠時に切迫早産で長い期間入院をしていたので、普段からお腹の張りには極度に不安を抱いていたので、痛みのある張りが良くないことは分かっていてまた入院になるのだろうと覚悟し、寝ているパパを起こすことに。

妊婦健診で診てもらっていた病院に行くか、里帰り先の病院に行くのかを悩みましたが、入院になると長女の事が心配💦

パパは仕事があるため母に任せるしかないと思い里帰り先の病院に決断をし、8時ごろ母に連絡しました。

パパは、もともとお仕事の予定だったのですが、たまたまお休みになったため実家まで送ってくれることに!

長女を起こし、身支度をして家を出る頃にはお昼になっていました…。

 

車の中で定期的に痛みのある張りが…💎

 

お昼13時ごろお腹の張りは、定期的にくるようになっていました。

「陣痛なんじゃない?」と心配するパパ…。

まだ産まれて欲しくないないことから、認めたくなかった私…きっと入院になるだけと現実逃避していました。

15時ごろ実家につき、パパには明日仕事だから帰っていいと伝え、予約制の里帰り先の病院に連絡をし、長女の時のことも話てすぐに診てほしいことを伝えて受診することに…。

人気の産院なので予約の患者さんが多く、緊急事態と思われていなかったようで後回しにされました。

やっと順番が来たころには痛みもだいぶ強くなっていたと思います。

張りの検査をすることになりお腹に機械をつけている間も看護師さんや助産師さんは忙しく走り回っていました。

徐々に耐えきれなくなってきた痛みにこれは陣痛だと認めざるを得ず、走り回る助産師さんの足を止め多分陣痛なのでもて欲しいと伝え…

やっと診察してもらえ、最初は子宮頸管が短いため入院になります。と告げた先生もう一度内診して焦り出し、

いや、「子宮口が4㎝開いてる!母体搬送の準備を!」と看護師さんに救急車を呼ぶよう指示をしました。

私には、優しく「今からお産になるので産まれてくる赤ちゃんの安全のために大きな病院に母体搬送します。」と丁寧に説明をしてくれました。

出産予定の産院は、個人病院だったため、NICU(新生児集中治療室)の設備がなく、正期産でないと出産はできないのです。

すぐに救急隊の方が来て救急車で総合病院に運ばれました。

 

マオ
マオ
もう産まれてしまうと分かった瞬間から、正期産まで守ってあげることができなかった思い、そしてママがピーポー乗って行ったと心配する2歳の長女に何も説明をする事ができなかった事や無事に産まれてこれるかなどたくさんの不安が入り混じり涙が止まりませんでした。

 

総合病院に到着して…💎

小さな命の誕生💎

 

総合病院に搬送され、分娩室に到着した頃には、子宮口が全開に…。

「赤ちゃん小さいからあまりいきむと飛んでいってしまう可能性があるからあまりいきまないで!」と無茶を言われながら

経産婦ということもあり、わずか15分で産まれてきました。

力強い産声を聞いて少し安心しながらも涙は止まらず…

この腕に抱いてあげることもできず、小さな手を少しだけ握り、ごめんねと謝りました。

すぐにNICU(新生児集中治療室)に連れて行かれ、突然の出産、今まで離れた事がない長女のことも心配で放心状態の私。

しばらくすると帰り着いていたのに母から呼び戻されたパパが分娩室に入ってきました。

「守ってあげれんかった、ごめんね」と泣きながら謝ると

「守ってあげれんかったはおかしいよ、生きてるんやから!誰も悪くないよ」と慰めてくれて

母と交代し、「長女はお利口さんで泣いてないから安心して」と長女の様子を知る事ができて少し安心。

 

マオ
マオ
総合病院に着くと今までの経験上この数週まできていたら後遺症が残ることも少ないから安心して産んでと声をかけてもらい、「いきまないでは無理じゃん」と思ったけど体も小さかったのでスポンとあっという間に出てきました。長女は出産時に産声を上げなかったので力強い産声を聞いて元気そうだと安心したのを覚えています。

 

赤ちゃんとご対面💎

 

 

 

その日の夜先生から赤ちゃんの説明を受けました。

  • 食道閉鎖の可能性がある
  • 心臓に穴が空いているからゆくゆくは手術が必要になるかも
  • 小指が少し薬指と重なっている
  • 耳がすこし下の位置にある

先生からの説明を聞いた後、車椅子で赤ちゃんのいる保育器を見せてもらえることになりました。

鼻と口にチューブ、点滴と小さい体にたくさん繋がれている姿を見て、健康に産んであげられなかったことに、ひたすら泣きながら謝る事しかできませんでした。

なぜ、長女の時に切迫で入院していたのに早く気づいてあげられなかったんだろう

その時は自分を責める事しかできませんでした。

たった1日で起きた濃い出来事にその日は眠れず、頭と気持ちの整理をひたすらしていました。

 

ドクターヘリで転院💎

 

翌日、朝から先生に呼ばれてやはり食道閉鎖の可能性が高く、このままじゃ栄養を送る事ができないのですぐに手術をした方がいい

だけどその手術はここではできないから、病院を選んで欲しいとのことでした。

しばらく通院することになるから自宅から近い方の病院を勧められ、その病院に決めることに…。

一刻も早く赤ちゃんを搬送するため、ヘリコプターでその日の午後に搬送されることが決まりました。

手術の同意書の記名なも必要なためパパが一足先に病院へ…。

手術などはまだ先のことだろうと思っていたので、不安もありましたが、気持ちの整理をした時にしっかり気持ちを入れ替えて前向きに考えることができていたので、泣かずに「頑張れ」と送り出すことができました。

 

マオ
マオ
出産した日は自分をたくさん責めましたが、どれだけ泣いて後悔しても自分を責めても時間が戻ることはないし何も変わらない。

今も赤ちゃんは小さな体で一生懸命に生きていて、長女は泣かずに帰りを待っていてくれて子供達が頑張っているのに母親である私がしっかりしなくてどうするんだ!それなら母親として今できることを精一杯して、支えていこう!と気持ちを切り替え前向きに考えていくことを決断しました

 

最後に

湊ちゃんの奇跡の出産エピソードいかがでしたでしょうか?

1日の出来事とは思えないほど濃い内容でしたよね(笑)

ところでなぜ奇跡なのかというと…。

まず自分で運転して帰ろうとしていたが、パパがたまたまお休みになり送ってくれたこと。

母も仕事がお休みの日だったので、病院に連れて行ってもらえたこと。

診察を待たずに、途中で助産師さんを呼び止めたこと。

たった15分ずれていたら病院で出産する事ができず、母子ともに危険な状態だったかもしれない…。

それを思うと生きていることが奇跡だなと思うのです💎

湊ちゃんが生きていなかったらもっと自分を責めていたと思うので、生きていてくれて感謝です。

 

 

 

 

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保育士3年目、31歳、3児のママ、プチプラコスメ大好き、障害児育児について発信中!

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